2013年6月30日日曜日

減塩に迷いながら

私の作る料理は薄味で、濃い味が好きな家族は物足りなさを感じているようです。
家族はお塩やお醤油をたっぷり付けて食べるのが好きなのです。
それは体によくないそうだよと言っても、物足りないと言ってとそのようにして食べます。
そこで私はかつお節や昆布や煮干しやエビや椎茸など、様々な旨みのある食材を料理に合わせて使っては、塩分を少なくて済むように工夫しています。
私も昔はそんな風でしたので、美味しいのも中々やめられないのもわかるので、減らすよう言われると苦痛でストレスが溜まると思いますので、そうならずに健康的に減塩できるにはと色々と試行錯誤しています。
そんな思いが通じてか、そういった料理で、全く調味料を使っていないのに、美味しいと言って食べてくれました。
しかしそうなったらなったらで、これでいいのだろうかという思いもあります。
家族が塩分を望むのは理由があるからと思うのです。
それは体が欲してのことで、ただ美味しいからと繰り返しているのではなくて、家族は低血圧なのでそれで自然と摂りたくなるのではと思いました。
塩分を摂りますと血圧が上がりますね。
その状態が心地いいのかと…
その状態を体が望んでいるのではと…
しかし体によくない例も沢山あるようですし、悩むところです。
自由が一番いいのかなとも思います。
ある程度知り得た情報は伝えて、自由にやりたいようにさせてあげたいです。
それで祖父は百歳を超えて元気なので…

2013年6月28日金曜日

ねっとりクリーム状の美味しいさつまいも

さつまいもって色々あるんですね。
いつも買い物に行っているスーパーで、この頃さつまいもが人気なのか、色々な種類が販売されていました。
そのお値段はいつもの何倍ものお値段が付いているものもあり、どんなものかと購入してみました。
家族用です。(自分の食べる分はいつも最安品です…味見はしますけれど 笑)
そのさつまいもは他のものがそのままの状態で箱の中で積まれているのに対して、袋に入っていて写真付きシールが貼られていて、特別な雰囲気を醸し出していました。
その写真付きシールには、生産者の方々がお写りです。
さつまいもへの思いも書かれていて、どのような口当たりやお味で、お勧めの調理方法も書かれていました。
とっても思いが込められていて、丹精込めてお作りになられたものがどのようなお味か、調理の最中にちょっぴりお味見をさせてもらいました。
感想は、『うんまぁ~』です!!
激ウマです。
アドバイス通り蒸して焼き上げたのですが、ねっとりとしていてクリームのようです。
あとに残る甘さで、上質なおやつといった感じです。
こちらで色々な料理をしました。
おやつも作って、もちろんそのシンプルな調理の蒸して焼いても出しました。
すると大好評でした。
思いを込めると、人間もお野菜も変わるものですね。
また購入していろいろな料理を作りたいです。

2013年6月24日月曜日

癌治療

癌と診断されて、無治療でいい状態を保たれて、長生きされている方がこの頃注目されていますね。
それで効果の期待できる治療を手放される方がいては怖いのですが、その方法がいいのではと感じます。
癌で手術など傷を作ってしまうと、転移が怖いと思われませんか。
人間がわかっていることは顕微鏡レベルのことで、人の体はもっと複雑と思いませんか。
マニュアル通りで病気が治るのであれば、そもそももう病気にはならないでしょうし、永遠の命を手に入れているのでは…
きっといつまでもその方法はわからないようになっているようにも感じます…
ですが病気の進行を遅らせたり、寿命を延ばすことはこれからも進歩するように思います。
癌と診断された時に、それまで何らかのご病気と長い付き合いのない方は、今提唱されている治療を積極的に望まれると思います。
そしてその中で、治療により悪化していることや、治療により命を失っていることに気付かない方が沢山いるのではと思います。
そこにはもう当事者はいらっしゃらなくて、そうなった真実が明らかにされないまま同じことが続いている部分があると思いました。
癌と診断された時に、もしそれまでに何らかのご病気を持たれておられた方は、治療に慎重になられるのではないでしょうか。
それは薬など治療の怖さをご存知だからと思います。
医療に助けられる部分も沢山あります。
しかし慎重に選ばなければならないことも沢山あると思いました。

2013年6月22日土曜日

122歳

人間、115歳以上も生きられるのですね。
122歳の方もおられたとか?
ちなみに100歳は百寿と言いますが、108歳は茶寿、111歳は皇寿、120歳は大還暦というそうです。
その年齢まで生きるのは、ご努力あってのことと思いました。
よくご長寿の方のインタビューに、「皆様のお蔭様です」といったお答えをされる方々を拝見させて頂きますが、そのようにも思いますが、ご自身のご努力なくしてそのような偉業とも思いますご長寿は達成できないことと思いました。
人生はマラソンレースに例えられることがありますが、本当にそのように思います。
山あり谷あり、辛い時、困難な時にどのようにその場を乗り越えて、そして前へ進んで行くかと思いました。
そこでリタイアする人があれば、無理をされて怪我やご病気をされて途中お休みをされる方もいらっしゃるかもしれません。
長い道のりを走るには、本当に色々な努力が必要と思いました。
努力、また努力の積み重ねと思います。
その先に、ゴールというご褒美が頂けるように思いました。
どんな走り方をしてもゴールはゴール…
後の続く人々の力や励みになれるような、そんな走り方ができたらと思います。
難しいですが、まだ続く道のりの、山あり谷ありの中でそんな走り方の模索をして行きたいと思います。

2013年6月20日木曜日

医療がこれから生き残る為にはと考えてみました

先日のお話の続きですが、では医療はどのようにして収益を増やすかということですが、医療機器メーカーさんや医薬品メーカーさんなども含めて、患者さんのニーズをもっと汲み取られてはと思いました。
今の医療は、既成の検査や治療やお薬などを、いかにして患者さんに当てはめるかという風に見えます。
そもそも病名というものも曖昧さがあると思いますが、しかし限りなく患者さんの状態に近づける病名によって、そこから様々な収益源となるものが発生していると思います。
でもこれからは、そんな医療を求める患者さんは減少傾向に転ずるのではないでしょうか。
これまで、高度というより豪華になって来た医療は、患者さんのニーズとの距離をどんどん広げて来たと思います。
いつしか一方的で、強引にも見える治療行為が進んで来たように見えます。
そしてそういったことが、治療に関連した病状悪化や命を失うといったことを生み出しているということが顕在化して、現在に至っていると思います。
ここで同じことを進めれば、更なる患者さんの医療離れを促進しかねないのではないでしょうか。
これからの時代、医療分野の方々が生き残るには、これまできちんと聞き得なかった患者さんの真のニーズを把握されて、アドバイスや生活援助に付随した行為や、食を基礎とした治療などと、リハビリ分野の対応が必要なのではと思いました。
そしてそれらを行うのに相応しい精神的援助も必要ではと思いました。

5年前のぬか漬け記録

ぬか漬けって美味しいな。
といってもしばらく食べていないんですけど、食べたいなと思いました。
前回食べた最後は、およそ5年前ほどになります。
かなり前ですね。
この間に、何度も食べたいと思いました。
そこでなぜ食べないのか。
その理由は、その5年前の最後に食べたぬか漬けに当たったからです。
その時のぬか漬けは、ちょうど夏真っ只中で、暑いさなかなんとなく”ぬか”系が食べたくなり、ぬか漬けを作ってみようと思いました。
そして張り切ってスーパーへ行き、ぬか漬けセットを買って来ました。
説明書を読んで丹念に作り、いろいろなものを漬けました。
そしてその時は良かったのです。
美味しくてその後はなんともなかったです。
問題はその次に漬けた時です。
その時は”うり”オンリーで作ってみました。
そして1日目、2日目と、日が経つにつれての味わいを堪能しました。
しかし何日目かに…
食べた後に気分が悪くなりました…
苦しかったです。
以降、また時々”ぬか”が食べたいとなりつつ、食べられないまま今日まで来ました。
いつかは克服したいです。
しかし何がいけなかったのかな~?
ぬか床は冷蔵庫に入れていたんですよ。
それでぬか漬けと言えば定番の、”毎日かき混ぜ”もちゃんとしていましたよ。
ではなぜ…
思い当たるのは、
①うりが水分が多くぬか漬けに適さなかった
②かき混ぜる時に菜箸でかき混ぜていた
です。
それらが原因かな~?
本当のところはわかりましぇ~ん。

吸い寄せられて住んだ家は

住む環境は、まるで吸い寄せられるように自身決めていると感じます。
それはこの頃引っ越しをしてのことです。
これまで仕事の都合で何度か引っ越しをして来たのですが、その度に、自身の生活の在りようが周辺住人となるべくしてなっているような関係の在り方をしていると感じました。
それは今を例えますと、お向かいのお宅が凄く騒がしいのです。
我が家はと言えば、とても静かなほうと思います。
それは面白いことに、以前の住まいもそうでした。
以前のお隣の家も物凄く騒がしかったのです。
それな更に面白いことに、以前の住まいも今回も、まるで同じ人が住んでいるのではないかと思うほど、その騒がしさが似ているのです。
それはドアの開閉と日常会話です。
まずドアの開閉を、とても大きな音でされます。
最初は何か怒っておられるのだろうかと思ったのですが、後にそれがそのお宅の習慣とわかります。
そして日常会話が物凄く大きな声でされます。
それはお部屋の奥では聞こえませんが、玄関先やベランダなどではとてもよく聞こえます。
そんな特徴が、それぞれ酷似です。
今のところに引っ越して来て、またかと溜め息をついていたのですが、そういったことを思い、なるべくしてなっているのだろうかと思うようになりました。
ということで、これを回避したいのであれば、我が家が少し騒がしくなれば、そういったある種の”現象”は治まるのではないかと思ったのでした。